「ボールを替えて」の向こう側。

ナ・リーグ優勝決定シリーズがはじまりました。今日の試合で気になったのは、先発最速投手のミジオロウスキーが試合序盤から何度もボール交換を求める仕草でした。MLBの試合球は、スタッフが一球ずつ泥をこすりつけたボールが投手に渡されます。かつて取材した「魔法の泥」を、今日の試合を観ながら訳してみました。
小島克典 2026.10.12
誰でも

ドジャースの3連覇を阻むのは、どのチームか?

今季のMLBで最多となる103勝を記録したブルワーズとのナ・リーグ優勝決定シリーズがはじまった。2年連続の同じ顔合わせ。去年はドジャースが4連勝でスイープし、ワールドシリーズへ進んだ。

大谷翔平の打撃は気になるし、明日の第2戦に先発する山本由伸も気になる。けれど今日、僕がもっと気になったのは、ブルワーズ先発、ジェイコブ・ミジオロウスキーがボール交換を求める姿だった。

ゲーム序盤から、ずいぶん何度も替えるな、と思った。

指にしっくりなじんでなさそうだった。だから、まっすぐが170キロに届かないのかな。

テレビを見ながら、そんな疑問が浮かんだ。ボール交換の理由は本人にしかわからないし、球速との因果関係もわからない。それでも、投げる前にボールを選び直すしぐさには、球速表示だけではわからない何かがある。

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「湿潤大陸性気候」という、聞いたことのない気候帯に分類される10月のミルウォーキーは1年で最も乾燥する時期だそうだ。ブルワーズの本拠地、アメリカンファミリー・フィールドの屋根は開いていた。

外気や風が、ボールや指先の感触に影響しているのだろうか。画面からは、ミジオロウスキーの指先の湿り気までは読み取れないが、そんな気がした。

僕はその向こうで、ボールをこねる人の姿を見ていた。

MLBのルールブックには「ボール表面のつやは適切にこねられた上で、除去されていること」という一文が明記されている。

箱から出したばかりの真っ白なボールは、そのまま試合では使えない。革独特の光沢が滑るので、ボール表面に特殊な泥をすり込んで、つやを落とす。その後、温度と湿度が管理された保管庫でしばらく寝かされたボールが、試合球として使用される。

どの球場でも、ベテランのクラブハウススタッフが、毎日10ダース近いボールに泥をつけ、両手でこねて、試合に備える。ひとつ手に取り、こねて仕上げ、次のボールをまたこねる。

ミジオロウスキーが投げ、大谷が打つボールも、一球ずつ誰かの手でこねられている。試合が始まればゲームの主役は選手になるが、舞台裏では90年近くも毎日同じ準備がされている。

ベースボール・ラビング・マッド。通称「魔法の泥」。

MLBで使われるすべてのボールは、この泥で投手の指先になじむように整えられる。ニュージャージー州デラウエア川のほとりで採れた泥だけが、選ばれた泥としてMLBを支えているのはあまり知られていない話だ。

真っ白な新球は「魔法の泥」でこねられ、試合球に整えられる。著者撮影

真っ白な新球は「魔法の泥」でこねられ、試合球に整えられる。著者撮影

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「魔法の泥」のはじまりは1938年。
フィラデルフィア・アスレチックスのコーチ、リナ・ブラックバーンは、試合球の状態に困る審判の声を受け、適した泥を探した。球場の土と水を混ぜたものでは、革が軟らかくなりすぎる。革を傷めず、つやを落とせないか。

彼が見つけたのは、自宅近く、デラウェア川の支流の泥だった。その具合のよさが評判になり、やがてすべての球場で使われるようになった。

公式サイトによれば、チョコレート・プディングとクリームの中間のような質感だというその泥は、どこで採れるのかは、いまも秘密となっている。

泥を供給する仕事は、ブラックバーンの親しい友人から、その家族へと受け継がれた。ジム・ビントリフは9歳の頃から泥に親しみ、かつてCNNの取材では、泥だけでは生計を立てられず、別の仕事もしていると話していた。

それでも彼には、続ける理由があった。歴史に残る本塁打も、数えきれない三振も、自分たちの泥が塗られたボールで生まれてきた。

小さな家業が、世界の野球を支えている。その誇りだ。

同じ準備を、東京ドームやマイアミでのWBCでも目にした。MLB機構が持ち込んだ泥で、ベテランスタッフが試合球を一球ずつこねていた。

侍ジャパンの投手が握るボールも、アメリカの川の泥で揉まれていた。

世界中から選手が集まる大会で、僕は言葉をつなぐ。その傍らで、ボール係は一球ずつ準備を進める。持ち場は違っても、同じ試合に向かって仕事をしていた。

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「魔法の泥」は、塗ればそれで終わりではない。

2022年、MLBは各球場の作業を調べ、処理や保管の手順をそろえた。スポーツ・イラストレイテッドによれば、泥が乾いたり、保管袋に粉状の残留物がたまったりすると、ボールが滑りやすくなる場合があったという。

同じボールに、同じ泥を塗る。それでも、同じ感触に仕上げるのは簡単ではない。

今日の試合では、両軍とも先頭打者への四球が得点の入り口になった。2回表、大谷が歩き、パヘスの適時打でドジャースが先制。5回裏はミッチェルが四球を選び、送りバントとララの適時打でブルワーズが勝ち越した。

“Leadoff walks score a lot.”

先頭の四球は、よく点につながる。現場でよく聞く言い回しだ。投手もベンチも、その重さは知っている。

ミジオロウスキーが何度もボールを替えた理由は、わからない。3つ与えた四球との関係も、僕の想像の域を出ない。

だけど彼が投げる前に気にしていた一球を、誰かは試合前に、両手でこねていた。

球速は画面に出る。その感触は、出ない。

「ボールを替えて」

次にそのしぐさを見たら、僕はまた、投手の指先と、その前でボールをこねながら準備していた人の手を思い出すと思う。

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