10月8日、うれしさと、寂しさと。
ひとり娘が生まれるまで、僕の4桁の暗証番号は、どれも「1008」だった。
10月8日。横浜ベイスターズの通訳として、38年ぶりのリーグ優勝を経験させてもらった日だ。それくらい、僕にとって大切な日だった。
そして、あの日を思い出すと、その数日前の別れも一緒によみがえる。
1998年の秋、ベイスターズが優勝する少し前、僕は一人の選手を成田空港で見送った。
パット・マホームズ。先発投手でありながら代走にも起用された、抜群の身体能力の持ち主だった。現在NFLのチーフスで活躍するパトリック・マホームズJr.のお父さんでもある。
入社してすぐ主担当になったパットとは、昼夜を問わずいろんな思い出がある。ありすぎる。
球場で多くの時間を過ごし、試合後はバーをはしごした。
僕はスポーツ通訳の中では、黒人選手たちの話す英語に比較的慣れているほうだと思う。その耳を育ててくれたのは、駆け出しのころにパットと過ごした時間だった。
彼は独特の言い回しをいくつも教えてくれた。ここに書くのはためらうスラングも含めて。
あるとき、仕事で「やったぜ!」という場面に、彼から教わった言い回しが自然に口から出た。隣にいたパットが大きくうなずき、ハイファイブしてくれた。
あの瞬間は、今も鮮明に覚えている。
教わった言葉が、自分の口から出て、相手に届く。聞き取れるだけでなく、ネイティブ同士の会話の輪に、一瞬でも溶け込めた。通訳として、一皮むけた気がした。
そのパットに、10月に入ってすぐ、僕はこう伝えた。
「ベイスターズは、来季の契約を結ぶ予定はないみたいだよ」
彼も、その日の朝、代理人から同じような話を聞いていたらしい。
「Another cat and mouse.(また駆け引きが始まるのか)」
パットが返してきた言葉を、今も覚えている。
数日後、空港で彼とハグして別れた。
そして、その数日後に巡ってきたのが10月8日だった。
優勝の前日、チームは甲子園へ移動した。僕は控えの選手と、ビール掛け用のゴーグルなどを買いに出た。ここで38年ぶりの優勝をスカッと決めてほしい。そう願う半面、ちょっと別の気持ちもあった。
翌9日は、当日移動で横浜に戻ってナイター。どうせなら、地元で優勝するのもいいよなあ。
いや、そのために今日は負けてほしい、なんて、選手でもない僕が言えるわけがない。縁起でもない。どちらにしても今日か明日には優勝が決まる。そんな明るい気持ちで買い出しをしていた。
甲子園での大一番は9回裏、ツーアウト。最後の打者は、のちに通訳として仕えることとなる新庄さんだった。フルカウントから大魔神佐々木さんのフォークが決まり空振り三振! ベイスターズのリーグ優勝が決まり、選手たちは我れ先にとマウンドへ駆け寄った。
僕は三塁側のベンチ前に出て、ガッツポーズをしていた。
……らしい。
自分が何をしたかは覚えていない。後日、マスコミの方にプリントしてもらった写真を見て、「ああ、僕はこんなことをしていたんだ」と知った。
パットを見送ったのも、拳を握って叫んでいたのも、同じ年の、同じ10月。
野球の秋は、一年の努力が結実する季節であり、来季に向けた編成(チーム作り)がはじまる時期でもある。数日おきに寂しさと歓びが行き交う両方のそばに、僕はいた。
通訳人生の序盤で、あんな大きな幸せを味わってしまってよかったのか、とも思う。でも、あれから28年、ベイスターズはリーグ優勝から遠ざかっている。2024年の日本一とは別に、あの日の喜びは僕の中に今も確実にある。
あの時、あのベンチにいられてよかった。毎年10月8日が来るたび、そう思う。
今年、その10月8日を迎える前日、書店で『ダ・ヴィンチ』を見つけた。
表紙の右上に「休刊」の二文字。
え、休刊?
次の瞬間、いろんな思い出が頭に浮かんだ。
ダ・ヴィンチの最初の思い出は、2002年春。ベイスターズからサンフランシスコ・ジャイアンツへの転職が決まり、成田からサンフランシスコへ向かう空港からはじまった。
空港の売店で買った一冊は、その後の一年のアメリカ暮らしで、日本から持ち込んだ貴重な雑誌の一冊となり、何となく捨てるに捨てられず1年間、ずっと自宅に置いてあった。
翌年、NYメッツへ合流するときも成田空港で『ダ・ヴィンチ』を買った僕は、以来、海外へ行くときには空港で『ダ・ヴィンチ』を買うのが常になった。そしてWBCやオリンピックのような長期の大会では、必ず自分の部屋にある一冊になった。
仕事を終えたあと、部屋に戻ってコーヒーか緑茶を飲みながら、パラパラと『ダ・ヴィンチ』をめくる時間が好きだった。
特に好きだったのは、今月に新しく出る本の読みどころを短く紹介する巻頭コーナー。1ページあるいは見開きで読み切れる文章が、ぎゅっと詰まっていた。
一日中、人の話を聞き、別の言語にして返す。そのリレーで疲れた脳みそに、短い日本語がちょうどよかった。
気になったところだけ読んで、まためくる。興味ないページは飛ばす。理由はよくわからないけど、それで頭が休まった。僕の、ほとんど唯一といっていい通訳のルーティンは仕事後のダ・ヴィンチだった。
先日、旧知の通訳仲間とランチをしていて、英語の「錆び落とし」と「チューニング」の話になった。
かつてのようにフルタイムで通訳をしていない今は、通訳の現場に入る少し前から、英語をひたすら聞いて、耳も口も脳みそも、通訳モードに戻したくなる。あるいは直前の仕事がイギリス英語で、次の現場がアメリカ英語なら、今度はそちらに耳を合わせたい。
そんな「英語のシャワー」や「チューニング」を助けてくれるツールがあったらいいね、と話した。
相手の話すリズムに耳が慣れ、自分の言葉が自然に出る。その感覚をパットとの会話で覚えた僕は、今も英語のシャワーを恋しく思うのかもしれない。
仕事前には英語をたっぷり聞きたくなり、終わると日本語がびっしり並ぶ、本の雑誌をめくっていた。言葉で疲れて、言葉で休む。考えてみると、ちょっと面白い。
休刊号を前に、遠征先ではずいぶんお世話になったなあ、と思った。そして、願わくば、物書きとしては一度くらい、ダ・ヴィンチで紹介されたかったなあ。感謝しているそばから、そんなもう叶うことのない欲が顔を出す。われながら、ちゃっかりしている。
10月8日。甲子園の歓びと、その少し前の別れを思い出す日。
今年はそこに、長く遠征に付き合ってくれた一冊の雑誌への思い出も加わった。
うれしさと、寂しさと。今年の秋も、僕はその両方を抱えている。
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