バットを持たずに、野球人口を増やす。MLB選手会の試み
グラウンドの外にある、野球の入り口
「野球人口が減っている」。
この仕事をしていると、あちこちで何度も、この言葉を聞く。少年野球のチームが減った。子どもたちが野球をしなくなった。競技人口をどう増やすか――。
それは、とても切実な問題だ。ただ最近、私は少し違ったことを考えるようになった。
そもそも「野球人口」とは、野球をプレーする人だけを指すのだろうか?
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きっかけをくれたのは、都内で子どもたちの学びと交流の場「the clubrooms」を運営する高橋 苗さんだ。彼女が日本で広げようとしている活動の一つに、MLB Players STEM Leagueがある。
名前は少し難しそうだが、子どもたちがやっているのは野球のボードゲームだ。テーブルには野球場を模したボード。手元にはメジャーリーガーの実際の成績が書かれたカード。ゲームを進めるためには、数字を見て計算する。
MLB選手会の慈善部門のPlayers Trustと、米国の教育団体Learn Freshが一緒に展開するこのプログラムは、野球をプレーしなくても、野球を通じて算数に触れられる。
Players Trustによれば、学校や団体には無料で提供され、ボードゲームとカリキュラムを通じて数学の力だけでなく、学ぶことへの自信や興味を育てることを目指している。
彼らは、野球を普及させるために、教育を使っているのではない。教育の入口として、野球の力を借りている。この違いは見逃せない。
勉強の入口に、野球がある。
面白いなと思った。
高橋さんは、最初から野球のプログラムを探していたわけではない。塾かスポーツか。そんな二択になりがちな放課後に、もっといろいろな過ごし方を用意したかった。子どもたちが毎週来たくなる場所を探す中で、このゲームに出会ったという。
小学生と、それを手伝う高校生や大学生がテーブルを囲む。年齢が違っても、野球があるとすぐに打ち解けた。高橋さんが見つけたのは、計算の教材だけではない。子どもたちをつなぐ力だった。
英語が話せなくても、一緒に遊べる魅力
今年、高橋さんが主宰するthe clubroomsから参加した小学生2人が日本大会で優勝し、マイアミで開かれた世界大会へ行った。2人は英語をほとんど話せなかった。それでも、海外の子どもたちと同じゲームを囲めた。
同じプレーに驚き、喜ぶ。言いたいことがあれば、何とか伝えようとする。「英語を勉強しなさい」と言われるより先に、話してみたい相手ができる。
「子どもが『これならずっと語っていられる』と思えるものを持つことが大切」と、高橋さんは言う。英語や人前で話す力は、その好きなものを誰かに伝えるための手段になる。
同じ学校に通っている必要もない。国や言葉が違ってたって問題ない。目の前に野球がある。それだけで、会話ははじまる。
この話は、私にもよく分かる。
英検4級でアメリカに渡った私は、メジャーのグラウンドで通訳をすることになった。先に英語が得意だったわけではない。
野球が好きだった。アメリカへ行きたかった。選手やコーチと話したかった。何より野球をもっと知りたかった。だから、英語が必要になった。
勉強してから好きになるのではない。好きだから、勉強してしまう。
好きなメジャーリーガーの数字だから、打率を計算する。海外の子どもと野球の話をしたいから、英語を一つ覚える。そうやって、野球の外へ外へと世界が広がっていく。
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20年以上、訳せなかった言葉
高橋さんの話を聞いて、私は2005年の夏を思い出した。MLBオールスターの取材で訪れたデトロイトの記者会見場で、翌年からはじまるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)のスローガンが大きく掲げられていた。
“Baseball Spoken Here.”
直訳すると「ここでは野球が話されています」とでもなるのか。しかし私には、しっくりこなかった。英語を日本語に置き換えただけでは、彼らが掲げた言葉の意味を、クリアに訳した気になれなかった。
当時は、世界の一流選手が国を背負って戦う大会のキャッチコピーとして受け取った。よくありがちな「絶対に負けられない戦い」のような過度な煽り(あおり)がなく、PLAYでもBATTLEでもなく、動詞がSPOKENなのがアメリカ的だよな(だから余計に訳が難しい!)などと思った。
そして不思議だったのは、通訳として上手く訳出できない時に抱きがちな、座りの悪いモヤモヤ感が全然なかったことだ。この言葉の本当の意味は、いつかわかる時が来るような気がしていたのを思い出す。
あれから20年以上たった今は、放課後のテーブルを囲む子どもたちの姿も浮かぶ。言葉が十分に通じなくても、同じゲームを楽しみ、相手とつながっていく。野球で世界が広がっているんだなと、嬉しくなる。
もちろんボードゲームに参加した子どもを、そのまま野球の競技人口に足すことはできない。だけど、野球をきっかけに計算を楽しむ子も、海外の友達に話しかけてみる子も、彼らはみな、野球と出会っている。
バットを持つ子どもを増やすことは大切だ。同時に、バットを持たずに野球と出会う子どもも増やしたい。Players Trustの試みは、私に「野球人口」をそんなふうにも考えさせてくれた。
“Baseball Spoken Here.”
ぴったりの訳語は、今も見つからない。でも、この言葉が表す景色は、20年前よりずっとよく見える。
【追記】本日11時00分に「野球をする子供」は本当に減っているの? というタイトルのニュースレターを配信しましたが、the clubrooms 高橋さんのコメントを加筆した本稿『バットを持たずに野球人口を増やす。MLB選手会の試み 』を18時00分に再配信しました。
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